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Runner’s Story

Runner 01

唐治谷 耕大さん

15歳

走行都道府県
大阪府

たくさんの人に助けてもらった。
それを、これからどうやって返すか。

オリンピック聖火ランナーの知らせは、お母さんからサプライズで知らされました。ちょうどその頃あった中学の懇談会の時、お母さんが日本生命からのはがきを見せてくれて。「これ、すごいことやでー」って先生も喜んでくれて。教室からでたら夢みたいで、勝手に涙が出てきました。

初めて病院に行った時のことはまだ5歳で。はっきりとは覚えてないんですが、いろんなエピソードを後から教えてもらいました。お母さんがその日「この子はこれから絶対歩いてはダメ」って言われて、頭が真っ白になってしまったこと。そして背の高いお兄ちゃんに電話して「ごめん、迎えに来ておんぶして」って頼んでくれたこと。帰ってきてからお母さんは、僕たち兄弟3人に病院で言われたことを泣きながら伝えたそうです。お兄ちゃんたちは病気を理解するというよりは、「お母さん、えらいことなっとる」って。それからずっと支えてくれた。

鬼ごっこのときは
車いすを押してくれたり。
言葉とかないけど、
みんながやさしかった。

僕がかかったのは「ペルテス病」という診断が難しい病気で。先生がたまたま研究していたから「この子はひざが痛いって言っているけど、違うよ、股関節が壊死する病気だよ」ってすぐに教えてもらえて。まだ体が小さかったから、股関節に圧力をかけずに自然治療っていう形がとれました。でもその代わり、長く車いすに乗らないといけないっていう。

それからはお母さんがずっと車いすを押して、幼稚園に送り迎えしてくれました。そのあと通った小学校は先生たちがとてもやさしくて。できることは全部バックアップするよって言ってくれて。いろんなことに参加させてくれた。校庭や図書室にいくときも、運動会も、おんぶしてくれて。玉入れの時は、先生がおんぶして、僕が投げて、下に落ちているボールは友達が渡してくれた。そう、友達もそんな感じだったんです。鬼ごっこも車いすを押してくれて。足について何も言うことないし、特別扱いっていうわけでもなかった。言葉とかないけど、みんな行動でやさしくしてくれた。中学になった今でも友達です。

走れることも
当たり前とは思ってなくて。
走ることが、大好きです。

だから辛かった記憶はないんですが、たくさんの人にずっと助けられてきた記憶があるので、これからどうやってその恩を返すかっていう感じです。幼稚園の教室が2階にあったときは、お母さんが毎日一人で階段を担いでくれた。お父さんも僕を抱きあげて、よくファミレスに連れて行ってくれたし、入院してたときも、カードゲームで遊んだり、一緒に寝てくれて。ずっとそばにいてくれたんです。

こういう病気があったから走れることも当たり前とは思ってなくて。走ることが、大好きです。お兄ちゃんが走るのも、ずっとみていて。だから陸上部に入りました。そうですね、走りたいって思いがどこかで爆発したのかもしれません。それこそ、鬼ごっこをやってくれた小学校からの友達も陸上部で。チームですけど、お互いに競いあって、励ましあって、どんどん記録も伸びています。

今回の応募をきっかけに、
あらためてお母さんやみんなの
ありがたさに気づきました。

お母さんはいつも笑顔で、僕の前であまり悲しい姿を見せません。でも、今回の聖火リレー応募を通じて話を聞いて、あ、そんなに心配してくれてたんや、とわかった。あらためて、そのありがたさに気づきました。家族にも、友達にも、ありがとうですね。もうそれしかないです。将来は、リハビリする理学療法士になりたいと思っています。僕のリハビリの先生もやさしくて、ずっと助けてくれました。ゲームを一緒にしてくれたり、話を聞いてくれた。リハビリを楽しい時間に変えてくれたんです。

今、同じ病気を乗り越えようとしてる子たちには、もうそこで歩けないといって、あきらめたらだめだよって伝えたい。今をどんどん楽しんで、友達と仲良くやっていったら、いつかまた歩けたり、走れたり、みんなで遊んだり、そういうときが来るから、そこまで頑張る、頑張っていこう。そう伝えたいです。

※記事は取材当時の内容になります。

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