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Runner’s Story

Runner 09

古原 靖久さん

34歳

走行都道府県
東京都

57年たってもキラキラしてる
オリンピック聖火ランナーの人を見て。
どんな体験だったんだろうって。

応募したきっかけはテレビ番組で、1964年東京オリンピックの聖火ランナーを追うコーナーを担当させて貰いました。僕は生まれてもいない出来事ですが、いろんな方々にオリンピックや聖火の魅力を聞かせていただきました。お会い出来たランナーの皆さんって57年経った今も、すごくキラキラしてるんですよね。そしてあの時の気持ちって忘れないって言うんです。それってどんな体験なんだろう。皆さん、その後の人生観がどんどん変わっていったような気がすると。いろんな人生を垣間見させて貰い、だんだん僕も走りたいという気持ちが高まって。それで応募しました。

とても、印象に残っているお話ですと、1964年聖火ランナーに選ばれた兵庫の方たちが、台風の予報でその地域は中止という衝撃の判断になり。「俺たちあのとき走れなかった」という会を立ち上げ、今回なんとしても走りたいっていう思いで活動され、ついに願いがかなったんですよ。奇跡じゃないですか、それって。

あとは沖縄の方のお話。当時、戦後だったから、聖火が来るにあたって、ほかの地域と想いがちょっと違うように僕は感じたんですよね。特にひめゆりの塔の前を走る方は、背負うものってものすごく大きくて責任感と重圧の中で走ったことが、今の人生にも繋がっていて、あのとき自分がやり遂げたっていうことがすごく自信になった。と教えてくれました。大変な時代だと深く感じました。

そしてもうひとつ、或る社長さんがランナーに選ばれたことで今があると言う話。その方はいつも部下に「頑張ってるか」じゃなくて、「頑張ってるね」って言うんですって。それは、57年前の部活の顧問の先生がいつも言ってくれた言葉らしくて。その先生から聖火ランナーの決定通知を受けた時に、すごく嬉しかったんですって。それがずーっと心に残ってて、今でも部下にそう声をかけ続けてるって。これってすごくないですか。聖火っていろんな風に心の中に残り続けるものなんだなって思いました。

誰かに夢を与えた瞬間って聞かれて。
養護施設にいた話を書きました。

聖火ランナーに決まった時は、めちゃくちゃうれしかったです。これで少しは今までお世話になった方たちに対して恩返しができるって。今まで元気をくれる人達とたくさん出会い、今回僕もその一員になれるんだと。そんな嬉しさと同時に、逆に選ばれし者としての責任と重圧を皆さんに教えて貰ったから。結構大変なことだなあと。僕は揺れ動いていました。

今まで、あんまり自分が養護施設の出身だっていうことはいってないです。隠してはなかったんですけれども。ただ今回応募するにあたって、誰かに夢を与えた瞬間があれば教えてくださいって質問があったので、養護施設にいる後輩達に向けて、当時僕が20歳でオーディションに受かってヒーロー役に抜擢されたエピソードを書きました。

僕、養護施設時代、あんまり優秀ではなくて。先生達にもたくさん迷惑かけてたし、幼い子ども達には怖がられていました。そんな僕がヒーロー役になった時に、まずみんなが「嘘だろ」っていう反応で。「いや、おまえはどっちかというと敵側だろ」みたいな感じだったんですけど。ヒーロー役を1年間演じた後には、施設の子ども達も「すげーな」って。僕のことを知らない幼い子まで「ヤスみたいになりたい」と言ってくれて。それは僕の中では本当に意外で。こんな風に言われる事が俺の人生の中にあるんだって。もしかしたら、僕でも子ども達の希望の光になれるのかなって。

僕は元々ヒーローがすごい好きなんですよ。だから、ヒーローになりたいっていう夢がめちゃくちゃありました。だけど、まさか子ども達が僕みたいになりたいって言ってくれるってとこまでは考えが及ばなくて。だからもしこの聖火ランナーに選ばれたんだとしたら、またその子ども達に夢を与える機会が得られたらいいなって思いました。

子どもたちの言葉が、
うれしかったんですよね。
だから光で、あり続けたい。

過去は変えられないっていうのは、もうしょうがない。それは僕が養護施設に入ってた事を今更云々かんぬん言ったりだとか、そこでいじけて立ち止まっても、誰も助けてくれないのを僕自身が、もう知っちゃっているんですよね、もう小っちゃい頃から。自分が進んで、自分が動いた事によって初めて、人も動いてくれるんだなって事を知っている。施設の体験があったからメンタルが鍛えられてたというか。それが今の自分に繋がってるって思ったら、逆にあの時の体験はよかったなって、今は思えるようになりました。

芸能界に入ったのは、養護施設を出たいっていう気持ちが一番強かった。でも今は、こんなやりがいがあって、楽しい事をやってお金がいただける事が嬉しくてたまりません。と同時に、子ども達にも夢を与えられるし、事務所にもほんとに感謝をしてます。施設の子ども達は将来の職業に悩む子が多い。そういう子ども達に、選択肢を見せるというか、ずっと光であり続けられたらと思います。「ヤスでも大丈夫だったんだから、自分でもできるだろう」そんな風に思って欲しくて。最初はそんな事まったく思ってなかったですし、自分が、自分が、の気持ちが強かったんですが、子ども達の言葉が、嬉しかったんですよね。

今、施設に入ってなくてもつらい子ども達たくさんいると思います。なので、僕がその聖火リレートーチを持つ事によって、そういう子ども達にも、元気を与えられたらとも思います。正直僕は優等生じゃない。でもね、そんな僕ができるんだから、みんなも先ずは諦めずに。って伝えたい。そして今まで出会った聖火ランナーの方々から聞いたお話と、走れなかった方の思いも僕は忘れずに走れたらいいなっていうふうにも思ってます。だから、そう、いろんな想いで走りますね、僕は。

※記事は取材当時の内容になります。

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